グルメ情報サイト日本のお茶の江戸時代
江戸時代〜庶民に広がるお茶の文化〜
それまで上流階級の貴族や武士のものだったお茶を庶民が楽しむようになったのは江戸時代になってからでした。江戸後期の国学者・前田夏陰は「今日ではどんな貧しい家でも、朝夕これ(お茶のことです)を煮ぬ家もなく、四六時中これを汲まぬ人はいない」と自らの著書に記しており、江戸の庶民の間に広くお茶が普及していたことがわかります。将軍や幕府の人々がお茶を楽しむためにお茶壺道中が行われていたのも江戸時代です。
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また江戸時代にはお茶の生産が大きく進み煎茶の産地が各地にできています。江戸には現在の静岡、長野、埼玉、東北などからお茶が集まり販売されていました。先に挙げた木の芽説もそうですが、当時の書物には庶民がお茶を飲むようになったことがわかる記述がいくつか見られ、人見必大の記した茶の本「本朝食鑑」には「近頃江東では朝食前に煎じ茶を飲む、特に婦女が多いとしている」と記されています。この文には煎茶ではなく煎じ茶とありますが、それは何故なのでしょう。
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実は、この当時のお茶は現在のお茶(蒸し製法)ではなく煎じたお茶のことをいいました。現在の蒸し製法で作られるお茶は1738年に京都の永谷宗円という人によって開発されました。この当新しい製法で作られたお茶は当時の煎じ茶とくらべて味も香りも良く、水色も美しい緑色で近江の茶商が販売すると人気が出て大評判になりました。当時の煎じ茶は新しい葉と古い葉、硬くなった芽なども混じっており、それを煮てから釜を使って作るという製法で作られ、発酵を止める蒸しの作業がないため茶色をしていました。当時、この色の違いから蒸し製法の煎茶を青製、従来の煎じ茶を黒製と呼ぶようになりました。硬葉や老葉が混じらす、鮮やかな緑色の煎茶は次第に煎じ茶を退けて主流になっていき、現代では煎茶と言ったらこの蒸し製法で作られたお茶のことをいいます。